10年?

 どうやらあの地震から10年も経ったらしい。
 小学校六年生だった自分がいつの間にか社会人やってたりするんだから、確かにそれくらいの時間は経っているんだろうが、本当のところを言うとぴんとこない。
 だいたい、自分の年齢ですらしばらく考えないと出てこないのだ。
 誕生日も近くになるとすっかり忘れているし、仕事初めてから何年かとか良く聞かれるわけだがかなり考えた挙げ句「4年くらい?*1」とかいまいち不明瞭な答えを返す始末だったりする。
 改めて思い出すとあのころはよく落下する夢を見ていたから、最初は夢の続きだと思っていたし、その後テレビを見てえらいことになってるやんとか思ったり、ばあちゃんの枕元に1キロ以上あるクリスタルの置き時計が吹っ飛んできて肝を冷やしたり、おねいさん(猫)がどっか行っちゃっててどこ行ったか大騒ぎした挙げ句どこからともなく出てきてやっぱり動物って一番安全なところにいるんだって家族全員で感心したり、部屋の壁を埋め尽くしている親父保有の字やらなんやらの資料が全部飛び出しちゃってて足の踏み場がなかったり、家の基礎やら壁やらがばっしり割れて一センチくらい隙間が出来てたり、そこからネズミが入り込んでしばらくおねいさんが大ハッスルしてた(そして5〜6匹獲った)り、そのおかげでネズミがある時期を境にどっかへいっちゃったりしていたり、まあ要するにいろいろあったけど大事はなかったって一言に帰結するわけです。
 10年経った今はというと、当時小6だった自分はどこへやら、精神年齢はそんなにかわらないくせに、うとうとしている間にいつの間にか社会人になって家から逃げ出していたり、自由に使えるお金が出来たからその分で昔買いたくても買えなかった本やらおもちゃを買いあさってみたり、あのころのワードプロセッサという機械の替わりにパソコンという高価な機械を手に入れたってのに十年一日同じことをしていたり*2、去年のはじめくらいにおねいさん(くどいようだが猫)が死んでしまったのに彼女の死に顔を見れなかったせいか日当たりの良い窓辺何かを見るとまだ彼女がいるような気がしてならなかったりとまあその程度のことしかしてないっていうか、結局成長してない。
 大きく変わったのは周りだけで、自分の中では世界は何一つ変わっていない。当然、自分の認識している自分というものも当時と全く変わっていなくて、そのくせ年齢にふさわしいモノに変わるとか成長することを望まれているのは結構なジレンマだったりする。
 私の意見としては躰の成長が止まった時点で人は成長なんかできなくなっていて、そこから先の成長と呼ばれるモノは経験と共に広がった視野で思いこみとかしがらみとかいう名前の漆喰を使ってそこまで成長してきた自分という心材を塗り固めていっている、単なる肥大化なんじゃないかなとそう思う。
 ……しかしそれでも、十年前と比較すると格段に歪んでるし冷たくなってるんだから、そう言う意味では成長していると言うよりむしろ退化しているような気がしないでもない。

どうでもいいけど。

 こんな馬鹿みたいな長文読んでる人って誰かいるのかな。
 所感は別に読まれることが目的で書いてるわけじゃないからどうでもいいけど。

*1:正確には……ええと、平成元年4月に小学校入学して、平成13年3月で高校卒業な訳だから13年4月から17年1月だと3年10ヶ月だよな……と、毎度こんなことを考えているわけで

*2:当時のFDを発見したので中を覗いてみたら見事に作りかけのゲームブックが出てきた……今はノベルゲームに変わってるけど