神様

 ……とまあ、それは良いんですけどね。
 牧師さんの言葉を聞きながらふと思ったんですよ。
 我々日本人は「神様(キリスト教的な主)」に対しての信仰心なんて欠片すらも理解していないのに、その神様の前でする誓いに意味はあるんだろうか? と。
 酷く醒めた話しで申し訳ないんですが、人の結婚式に行くたびにそんな違和感があるんですよね。
 そもそも、僕は唯一神的な神様の事は頭から信じてませんし、大半の日本人はそうなんじゃないかなと思います。
 それなのにキリスト教式の結婚式をやっちゃうって、なんか信じてる人に対して申し訳ないような気がします。
 まあ、どんな格好で挙げようと結婚式は結婚式なんですけど。
 何でキリスト教式の結婚式をするんだろうって云う単純な疑問ですよ、これは。
 キリスト教を「信仰」している人以外は、ほんとはもっと考える必要があるんじゃないでしょうかねぇ。
 そして、「信仰」っていう概念自体、大半の日本人には理解できないはずです。
 あれはなんというか、命とか人生とかそう言う物の大半を費やして積み立てていく、生活と精神そのものですから。


 僕は、神様って言うのは信じている人にしか意味のないモノだと思ってます。
 逆に言えば、信じている人にとってはそれは真実、そこにあるモノであるというようにも認識しています。
 でもねぇ。
 そんなにえらい神様って必要ですか?
 唯一神的な神様って、なんでも出来ちゃって胡散臭いんですよね、ぶっちゃけて云うと。
 なんか押しつけがましいし。
 キリスト教の人たちは「神様はあなたたちを愛しています」とか何とか言ってますけど、僕にしてみればそんなに神様が万能なんだったら何でもっと愛のある世界を構成できるように人間を作らなかったんだよって感じな訳です。
 作れてないって事は神様なんていないのです。
 自分を律するために神様を口実にするって(宗教って最終的にはそう言うことでしょ? ……まあ、本当は「えらいひとが都合良く民衆をまとめるためのもの」なんですけど)、人間としてなんか情けなくないですかね?
 居るか居ないかわかんないモノを心と生き方の拠り所にまでするって、どうなんでしょ。
 僕はそういうの、嫌いなんですけどね。
 僕としては、割といい加減で人間とつかず離れずの処にいて、まあなんて云うか「普段は居るか居ないかよくわかんないけど近くにいると思われてるもので」「助けて欲しいときにだけおすがりして、助けてもらえたらラッキーで」「そのくせ基本は触らぬ神に祟りなし」とかそんな感じの存在で十分だと思うんですよ、神様って。
 「自然」と「人の作り出した物のうち割と年季が入ってるモノ」に人格を見出したものが日本土着の神様の殆どですよね(なんつーか神様然とした神様は、外国から入ってきた神様が多いんじゃなかったっけ)。
 突き詰めれば、「環境(自然)と物(人の作った有体物全般)を大切にしよう」くらいの認識に落ち着いちゃう神様を、僕は単純に信じて(……信じてっていうと語弊がある……のかな? でも、「蛇口を捻れば水が出る」って云う事実に対する信頼も信じてるって云うんだしなぁ)……まあ、信じてます。


 だいたいさ、日本では神様になるのって簡単なんですよ。
 どんな分野でも良いから、とにかく突き詰めて極めてその分野に関しては誰も追いつけないようなスペシャリストになればいいんですよ。云うでしょ? ○○の神様 って。
 要するに、日本の神様ってそんなもんなんですよ。