籠の鳥は空の夢を見ないと思う。
 雛から育てられた彼にはそもそも、空の記憶というものが何処にもない。
 根拠になる記憶のない夢を見ることはきっと難しい。


 小さい頃、家の中しか知らなかった僕は、そこが世界の全てだと思っていた。
 世界というのは自分の家と目の前の道路だけで、二階のベランダから見える風景は、今立っている場所につながっているかどうかも判らない、存在すら危うい別の何処かであり何かだった。
 遙かな空に光る稲妻も遠くで自己主張をするGSの看板もどこかへ続く長い長い電線も向かいの家にある雀の騒ぐ大きな木も、あのころの僕にとっては等しく知らない何かで。
 ついでに云うと人間ってのはどこかから涌いてくるものだとばかり思っていた(あながち間違っていた訳ではなかったが)。
 外に出たことがない訳ではもちろんなかったけれど、「うろうろするんじゃない」「そこらにあるものにやたらと触っちゃいけない」という大人の言葉にしたがって彼らの後をついて歩いていた僕には、外というのはさっぱり訳の判らない世界だった。

 訳の判らなくなるくらいいろんなものがあるくせに、
 それは何処まで行っても全部同じようなもので、
 同じような外面をしていても中身はまったく違っていて、
 それは、まるで悪い夢のようだ。

 実を云うと、今もその認識は変わらない。
 ベランダから外を見ていた頃よりはいろんな知識を付けて、なんだかんだ云って親元を離れ仕事とかも手に入れた筈なのに、外は相変わらず訳がわからなくてやかましくて鬱陶しくて、やっぱり別の世界のようだ。

 知らないと云うことは要するに、在るはずの世界を認識できないことだ、と僕は思う。
 もしくは、正しく認識できないことではないだろうか。
 認識するには知識よりむしろ経験の方がずっと大事で、
 それはある時期を越えるとほとんど手に入れられなくなってしまう、そんなものじゃないだろうか。

 籠の鳥は世界に空というものがあるなんてことを夢にも見ないだろうと思う。
 もしそこに放されたとしたら、そこが何かも判らずただたおれるしかないだろう。
 世界を識るために与えられた時間で識ることのできなかったことは文字通りの『絵空事』に堕落して、いくら目の前に広がっていてもそれを識る事は出来なくなってしまうから。




 ………………と。
 関係ないけど最後に一つだけ。
 私は小泉首相の姿勢に賛成です。
 他国に攻撃されたら自分を守る術のないこの国を守ってくれてるのはアメリカなんですよ。
 判ってる? 日本の隣には北朝鮮が居るのよ?
 もしアメリカに日本が見放されたら、あの国はきっと日本を攻めてきます。
 国がなくなったらどういうことになるか、考えてみませんか?