我が名2
(id:yamikage:20040114の続き)
僕が(ネットやら同人やら、あと……文通かな、懐かしや)相手の顔の見えない世界と対面するときの名は“闇の影・翼”、だ。
もう8年近くこの名前でいたおかげで、実は結構愛着があったりする。
いわゆる戸籍に載ってる名前、本名については(実は)あまり気に入ってはいない。
折角2週間(10日だっけ?とにかく出生届の提出期限ぎりぎりまで)も徹夜で考えてくれた親父には悪いと思うのだが、あと40年くらいしていい感じに猫と緑茶と縁側の似合う婆さんにならないと似合わなさそうな名前で嫌いだ。
だが、人間というのは不思議なもので、いくら自分で名前が気に入らないと言っていても、他人に間違えられると腹が立つ。
それは名前というものが、僕という人格の一番外側で、卵の殻か家の外壁のような役目を果たすものだからだと思う。
誰だって、自分の家の塀に落書きをされれば腹が立つだろうし、勝手に表札を書き換えて全然違う名前で呼ばれたりなんかすればえらいことになる。
えらいことというか人権問題だ。
我々が他人に対して、自分が何かというものを規定もしくは主張する術というのは、世界にただ一つ、己が授かった名前しかない。
規定するものがたとえ人間ではなく物であったり現象であったりしても、“そういう概念”を意識に上らせるために名前という物は存在している。
そこに存在しているだけでは、モノも現象も認識されないのだ。
たとえば。
猫という動物は人に猫という名前を与えられているから猫というモノであることができる。
もしあの動物に最初に名を与えた人があの動物にリンゴという名を与えたのなら、あれはリンゴというモノになった。
犬を飼えばあなたはその犬に鎖つきの首輪と名前を付けるだろう。
その犬が自分のものであるという主張を、犬と自分と周囲と保健所の人間にするために。
それがなければあなたの犬もその辺の野良犬も、同じ犬でしかない。
いくら犬を愛してやまないと言っても、種類も性別も色も体格も同じような犬が一万匹もいる中で、あなたは、名前もなく首輪もないあなたの犬を見つけだすことができるだろうか?
多分無理だろう。
犬があなたをちゃんと主人だと認識していれば、あなたの元へ飛んでくるだろう。
しかし、あなたは同じような犬の集団の中からあなたの犬を見つけだすことはできない。
なぜならその犬には他と区別するための名前も、首輪ももっていないから。
実践してみたことはないので絶対不可能だとは言わないが、要するに、言葉と認識なんてそんなものだ。
たいていの、とは言わないが世の中の割と多くの人(日本人?)は、戸籍に載っている<本名>も普段使っている<名前>も同じであろうと思う。
己のことを知っている他人から認識されている<名前>もきっと同じだろう。
中には活字がなくて困っている人や通り名の方が便利だから、もしくは占いでこの名前を使っていたら○○歳までに死ぬと言われた、本当の名前を人に知られると良くないことが起こると信じている、とかその他諸々の理由で本名を使っていない人だっているだろうが、その辺はあえて割愛する。
ただ、自分が呼ばれている名前は、自分名乗っている名前であると認識していることだろうと思う。
要するに、佐藤さんは自分のことをあくまで「佐藤」何某と言う人間だと思っていて、他人から「佐『東』」だとか「『左』藤」だとか、そういう名で認識されているとは夢にも思っていないはずだ、と、そういうことだ。
佐藤さんに手紙が来たとして、宛名に佐東様、と書いてあれば普通は違和感を覚えるだろう。
手紙が誤って配達されたのではないか、と一瞬疑いはしないだろうか?
どんな都合があるにせよ、名前を違うふうに表記されるというのは不愉快なモノだが、それが至極まれにならまだ我慢できる範囲である。
しかし、それがもっと日常生活に直接の影響を及ぼすモノであれば、どうなるだろう?
僕の場合、保険証──運転免許を持っていない僕の唯一の身分証明書が本当の名前と違う表記なのだ。
こういうものは、ちゃんと戸籍にある名で作成するのが筋というモノではないだろうか?
書道家をやっていて、ほぼ号(書道の世界で使っている名前)が通称と化している我が父だって、保険証を見ればちゃんと戸籍に登録された本名が載っている。
僕は中学校に上がる少し前くらいまで、父の本名だと思っていた名が号であるなんて知らなかったし、いまだに父の本名と号を取り違えたりするくらいだ。
実の娘にそんな勘違いをされているとは父もなかなか心外だろうと思うが、そこまで浸透している名であっても保険証とかそういったモノには使えないのだ(いや、もしかすると使いたくないだけなのかもしれないが)。
それなのに、何故に僕は公文書とかの都合のせいで無理矢理表記の変更を迫られなくてはならないのだろう?
最近、どこでも本人確認を厳密にするようになった。
何をするにも本人確認のための書類というものが必要だ。
銀行用にしていた印鑑をなくして、窓口で印鑑を変える手続きをする。
窓口のお姉さんは言うのだ。
「本人確認のために、身分証明書をお願いします」
ちなみに、銀行の口座を開設した当初はそんなに本人確認がどうのこうのと言う時期ではなかったので、何一つ書類なんかは出していない。
もちろん口座の名義は僕の本名だ。
僕はひょいと保険証を差し出す。
お姉さんは首を傾げる。
「あれ? ご契約のお名前と字が違いますけど……」
仕方ないので、僕は字が違う理由を説明する。
お姉さんは上司に相談に行った。
僕は短い昼休みを削って銀行に来ているのだ。
それなのにやたらと待たされて、結果はOKだったけれど、我がホームポジション(机)に帰るのは本当に昼休み終了の鐘が鳴り終わるのとほぼ同時だった。
本人確認が必要な手続きがあればそんな具合なのである。
僕にとっては迷惑極まりない話だ。
(id:yamikage:20040117に続く)